Heritage

 1300年の歴史を持つ織都・桐生 

織都・桐生。1300年の情熱を纏う。

「西の西陣、東の桐生」 そう称えられてきた群馬県桐生市。この地に流れる1300年の時間は、単なる数字ではありません。それは、世界史の荒波を越えて受け継がれてきた、奇跡のような「布の記憶」です。


国家よりも古い、美の系譜。

1300年前。それは西暦700年代、日本では奈良時代にあたります。 世界に目を向ければ、中国では華やかな唐(とう)が栄え、ヨーロッパではイギリスやフランスが「国」としての形を成すよりも、さらに100年以上も前のこと。

アメリカ合衆国の歴史を5回繰り返しても届かないほどの長い歳月。バイキングが海を渡るよりも早くから、桐生では機織(はたお)りの音が響いていました。この気の遠くなるような時間の厚みこそが、KIRYU ALOHAが背負っている背景です。


世界が羨望した、黄金時代の結晶。

明治から昭和初期にかけて、桐生は世界一の生糸と絹織物を輸出し、パリやニューヨークのファッショニスタを驚かせた「織都(しょくと)」でした。

街中に最新の美意識が集まり、職人たちが命を削るようにして「極限の美」を競い合った黄金時代。今、私たちがアロハシャツへと昇華させているヴィンテージ着物は、まさにその時代の遺産です。現代の最新機械をもってしても再現不可能な、狂気的なまでの織りの密度と色彩。それは、1300年の頂点に咲いた、一瞬の徒花(あだばな)のような美しさなのです。


「現役の聖地」から、新しい形へ。

多くの歴史的な街は、今や遺跡や博物館となりました。 しかし、桐生は違います。1300年間、一度も歩みを止めず、今日も誰かが布を織り、仕立て続けている。この「現役の聖地」であることの凄みを、私たちは守りたい。

ハワイの過酷な地で守り抜かれた「日本人としての誇り」。 そして、桐生の地で磨き上げられた「1300年の技術」。

この二つの系譜が交差する一着を纏うとき、それは単なる衣服を着ているのではありません。人類が紡いできた壮大な物語を、その肌に纏っていることになるのです。

 

 

明治22年には日本織物株式会社が設立。これは当時日本の最先端の設備を整えた国家的規模の織物工場。

官営の工場が一般的であった当時に、日本織物は100%民間資本で創設されました。
敷地面積は約63,000㎡の広大な土地です。

 

工場の動力となる発電機は日本織物がアメリカにて購入したもの。発電方法は渡良瀬川を利用した水力発電で、工場や寄宿舎など400件に電力が使われました。
当時の発電機の一部は現在も桐生市に残っています。

日本織物株式会社と桐生の発展を支えた物流の手段は鉄道。

イギリス・マンチェスターの町が港から離れているにも関わらず工業地帯として発展していたことから、これに倣って桐生の町に鉄道をひきました。のちに国鉄、J Rとなります。
当時の駅の建設時には、疫病が流行し「街から離れて作ってくれ」と言う声が大きく、本来街中に引こうとした鉄道を大きく変更しなくてならず、大変だったようです。

職人と商業の街であった桐生の技術は、日本最大級の絹織物工場であるこの株式会社によって大きく発展し、日本を支える礎となりました。設立時にも、大変なことが山ほど。
勝海舟に言われて建設予定を立てるも、一緒に投資する予定の者は、今では有名な国の払い下げ施設を安値で買うことに寝返ってお金を出さない。その分の半分も、全部工面したとか。

今では誰もが有名となっている当時の日本を代表する子どもたち(留学生)をサンフランシスコに連れて行き、お世話したのもこの会社の代表でした。鹿鳴館の創設に寄付をしたり、歌舞伎の3座を救ったり(だから歌舞伎で織物の宣伝をした訳です)、世界が切望する黒の絹織物を作り出しました。

まだまだ他にも、歴史の教科書に残っていない本当の歴史が桐生にはあるのです。

どこかで、また、別の機会にお届けします。