織都・桐生

 1300年の歴史を持つ織都・桐生 

 

奈良時代から絹産業が盛んであった群馬県桐生市は「西の西陣 東の桐生」とうたわれ、日本の繊維産業の中心地とされてきました。

 

新田義貞が鎌倉幕府を倒した際の旗揚げで桐生の織物が使われていたことから、桐生の織物は縁起が良いとされていました。

 

桐生は徳川家康が江戸城築城と同時期に創設を命じた町でした。

家康が関ヶ原合戦で勝利した際の幟旗も桐生の職人たちが一日で2,410疋を織り上げ、献上したものでした。

 

 

明治22年には日本織物株式会社が設立され、これは当時日本の最先端の設備を整えた国家的規模の織物工場。

官営の工場が一般的であった当時に日本織物は100%民間資本で創設されました。

敷地面積は約63,000㎡の広大な土地です。

 

工場の動力となる発電機は日本織物がアメリカにて購入したもので、購入した2機のうち1機を桐生、もう1機を京都へ導入しました。

発電方法は渡良瀬川を利用した水力発電で、工場や寄宿舎など400件に電力が使われました。

当時の発電機の一部は現在も桐生市に残っています。

日本織物株式会社と桐生の発展を支えた物流の手段は鉄道。

イギリス・マンチェスターの町が港から離れているにも関わらず工業地帯として発展していたことから、これに倣って桐生の町に鉄道をひきました。

 

職人と商業の街であった桐生の技術は日本最大級の絹織物工場であるこの株式会社によって大きく発展し、日本を支える礎となりました。